六の庭NIWA

山ひと暮らしのあそび場づくり

中央公園11.6 発掘調査作業

11月6日の夕方、中央公園へ寄った。

前回10月23日の時には渡れていた園路は、閉鎖されていた。

 

 

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園路の代わりの南北に渡る迂回路

 

 

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迂回路から西側エリアを撮影

 

 

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ショベルカーで掘削 コンクリート片(右奥)やホース(左)が土の中から出てきている

 

 

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迂回路の東側エリア 先ほどの掘削後の土を運び集積している 

 

 

 

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迂回路から西側エリアを撮影

 

 

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中央公園南側から西側エリアを撮影

 

 

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中央公園西側から撮影 発掘調査作業

 

 

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 17時前。ブルーシートで覆っている。 片付け作業かな

 

 

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中央公園北側で堀川を撮影 カルガモが6羽餌食。飛び立っていった。  

 

 

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基町住宅の掲示板にあった広島市市民局文化スポーツ部文化振興課からの案内

 

これによると、中央園路を含む部分の掘削が終れば、次はスタジアム建設予定地の南北部分(上の写真:③図のE・F)の調査を予定している。12月上旬以降、堀川でも作業が始まるようだ。

中央公園10.23 発掘調査

10月23日、中央公園へ寄った。

西側では、発掘調査作業が進んでいる。

ちょうど昼時だったので、作業員は休憩中だと思われる。

 

 

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中央公園西側 発掘調査

 

 

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土の中から出てきたと思われる、鉄屑やビン、コンクリート片などが集積されている(右)

 

 

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中央公園 南西側

 

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中央公園のまん中を南北に渡る園路(右)

 

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園路の東側に、舗装整備された「安全通路」ができていた

 

 

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中央公園北側から撮影

 

 

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基町住宅の掲示板にあった案内「発掘調査に伴う園路の変更について」

 

発掘調査作業 かな?

10月13日(火)、中央公園へ寄った。

西側の建設エリア内の樹木がすべてなくなった。

今冬から本格的に発掘調査に取りかかる予定らしい。

 

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基町住宅側の堀川「むくむく橋」

 

 

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高さ3mの白いフェンスだったヶ所が一部、透明のプラスチック板?に変わっていた

 

 

中央公園西側広場 発掘調査作業(だろうか)

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透明のプラスチック板の所から中の様子を見ていると、通りすがりのおじさんがやってきた。同じように並んで中をのぞいた。

 

「あっという間ですね。」と私が話しかけると、おじさんは、「決めるまでは時間がかかったけど、動き出したら早いね。2024年には、できとらんといけんけぇの。」と言った。続けて、

 

私「(これは)発掘調査をしているんですかね?」

おじ「発掘調査はもう終わったじゃろう。前やりよったよ。測量もやっとるし。」

私「この冬から本格的に発掘調査するって、新聞に書いてましたよ。」

おじ「ほいじゃ、(発掘調査と建設作業を)同時にやっとるんかの。」

そんなことってあるのか?!と私は思った。

私「西側には武家屋敷跡があるっていってたけど、(発掘調査で)何かでますかね?」

おじ「そら、大事なモンが出たらえらい先生方がだまっとらんじゃろう。ずっとみようる団体もおるよ。広島にはえらい先生がいっぱいおるんじゃけぇ。何か出たら、建設もできんじゃろう。」

 

おじさんはそう言って、堀川の岸を歩いて行った。

おじさんの情報はあっているのかどうか定かではないけれど、「同時にやっとる」の言葉はあながち否定できないかも、と私は思った。広島のえらい先生と団体は、ずっとみようるのだろうか。

 

 

 

「一本クスノキ」が移植されていた

10月2日(金)、中央公園へ寄った。

 

公園内のまん中をわたる園路を通った。

一本クスノキがない。

 

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近くに行ってみると、掲示があった。

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くすのき移植作業実施

作業期間 9月28日~10月2日

移植先  安佐北区筒瀬市有地

              広島市 

 

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(2019.10.30撮影) 一本クスノキ

 

 

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「サッカースタジアム建設に伴う埋蔵文化財発掘調査」エリア内の樹木は、全てなくなった。

 

 

 

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立て看板「サッカースタジアム建設に伴う埋蔵文化財発掘調査実施のお知らせ」

 

発掘調査実施の業務委託期間は、2022年3月31日までとある。

8月3日の中国新聞記事では、広島市によると「江戸時代の広島城内にあった武家屋敷跡があるとみられ、今冬から本格的に掘り起こして記録する。」とのことだ。発掘調査の事業費は、8億円。サッカースタジアム建設・公園再整備・ペデストリアンデッキ整備等も含めた概算総事業費は、約260億円としている。(※広場エリア等のにぎわい施設については、民間事業者による整備とし、概算事業費には含まない。)当初見込みの190億円を大幅に超え、大きなお金をかけて事業が進む。広島市民・県民・国民の税金からも拠出される。コロナ禍の中で、サッカースタジアム建設に向かって、作業は驚くほど着々と進んでいる。    

                    

 

広島市中央公園は、都市公園である。

都市公園は、緑豊かな公共空間としての性格を有する施設として位置づけられている、市民のオープンスペースである。整備の基本的考え方として、「みんなでつくるサッカースタジアムの実現」と広島市が公表した基本計画にある。であるなら、なおさら、市民・県民に、情報を積極的に公開してほしい。

 


 



中央公園西側エリア 発掘調査で掘込み

9月28日(月)の夕方、仕事の帰りに中央公園へ寄った。

発掘調査作業がどのように進んでいるのか。

自分の目で見ようと思った。

例のごとく、西側エリアの基町住宅側、堀川の「むくむくばし」から歩き始める。

 

 

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①中央公園内の親水水路 堀川の「むくむくばし」

 

 

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大きなケヤキ郡があった広場。ショベルカーが3機見える。

 

 

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本川側を背に、広島城方向を撮影。盛土のようになっていた。

 

 

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【あの日の広場】己斐の小学校から遠足に来ていた。広場で遊ぶこどもたち。

「はっないっちも~んめ~っ」の声がきこえてきた。(2019.10.21撮影)

 

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③基町高層住宅の白色と文学碑の黒色と薄茜色の空がなんともいえずせつない。

撮影者の心境までもが映し出されたような一枚。

 

この石碑に刻まれている詩は、作家大田洋子さんの「屍の街」の一節である。

サッカースタジアム建設に伴い、広島市は、この石碑を含め西側エリアにある4基のモニュメントを移設し、広場内に再設置するようである。

 

「「屍の街」は、大田洋子の原爆被爆後の第1作。市内白島で被爆し、川のほとりで何日か野宿した後、玖島村(佐伯町・現廿日市市)へ逃げのびるまでの“惨状と恐怖”の記録である。「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの」と作中で語っているように、障子紙やちり紙まで使って懸命に書き続けたが、初版<昭和23年(1948)>は検閲を顧慮して自発的に部分削除、2年後の再版でやっと復元完本とした。」(「ひろしま文化大百科」より引用)

 

 

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④こどもの字で書かれたシダレザクラの銘板。フェンスにあたる枝は伐採。

この広場ではボーイスカウトの活動も行われていた。

 

 

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広島城側を背に本川ケヤキ郡のあった広場を撮影。盛土が見える。右は一本クスノキ

 

 

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⑥自由・芝生広場とグラウンドの間を通る通路から東側を撮影。業者用の資材置き場。

 

 

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⑦平日の夕方だったので帰宅途中の会社員や、散歩に歩く人、

自転車で急ぐ母親とみられる姿があった。こどものお迎えかな。

 

 

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⑧スタジアムイメージ図によると、基町住宅地側への騒音対策のためか、

スタジアム北側は45mの高さになる予定。マンション14階~15階程の高さにあたる。

 

 

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⑨通路の近くに残っていた樹木郡も伐採。

発掘調査エリア内に残る樹は、一本クスノキだけ。

 

 

 

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⑩基町住宅側、堀川沿い。右端に伐採したあとのピンクテープ。

 

 

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⑩’おそらくこの桜の木だろうか(左作業前 / 右作業後)

 

 

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⑪基町市営住宅側を背にグリーンアリーナ方向を撮影

 

 

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【あの日の広場】自由・芝生ひろばで座ってのんびり凧揚げをしていた(2019.10.13撮影)

 

 

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⑫’発掘調査エリアをぐるりと廻って一時間程。歩き始めの、ケヤキ郡のあった広場へ戻る。正面にみていたあの盛土を横から見た。盛土の高さが推測される。

 

 

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⑫’手前のカラーコーンから向こうのエリアは、掘込まれて低くなっている。

 

 

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⑫発掘調査作業 右の赤いカラーコーンの位置が元の地表面。

 

 

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【あの日の広場】ケヤキ郡のあった広場。

木陰に集っていた「自遊ひろば」(2019.10.13撮影)

 

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【あの日の広場】ケヤキの枯れ葉をたくさん集めて遊んでいた(2019.11.10撮影)

 

 

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⑬親水水路 本川からポンプで川の水を吸上げ流している。今日は水が止まっていた。

藻が渇いた後の潮水の何ともいえない匂いがしていた。

 

 

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一日前の堀川 むくむく橋付近(2020.9.27撮影)

 

今日歩いたコースと撮影した写真は、下の通り。

左上の黄色い枠の写真①からスタートし、発掘調査エリアに設置してある白いフェンス沿いに歩き、一時間くらいかけて一周した。

 

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発掘調査作業 写真①~⑬(2020.9.28撮影)

 

作業の過程を見ておこうと思い、何度か歩いているが、歩く前にかなりの気合いを入れることにしている。見たくない思いと、見ておきたい思いがいつも交錯している。そして、歩けば歩くほど気が重くなる。

 

  

そんな中、こどもたちが遊んでいる姿を見つけた。

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基町地区にできていた真砂土を入れて整備された平地のオープンスペース

 

小学生くらいの男の子が3~4人でサッカーをしていたところ、後からチョロチョロと加わってきて、7~8人が集まって遊んでいた。

 

 

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「広場の利用について」と「遊びのルール」の掲示

 

県営住宅跡地にいつの間にかできていたこの場所は、「基町地区活性化計画 広島市令 和2年5月」によると、オープンスペースとして暫定整備されたもののようだ。

 

(以下、引用)

【取組み】水と緑の空間の整備
将来的に、旧太田川に面する県営基町住宅跡地から中央公園に連なる水と緑を生
かした広大な空間を確保し、潤いのある魅力的なまちづくりに有効的に活用するこ
とを検討します。

➣ 【取組】 県営基町住宅跡地のオープンスペース化 (行政)
国有地である「県営基町住宅跡地」について、国から管理委託を受けて、そ
の一部を地区住民や市民が地域コミュニティ活動等に利用できるようオープ
ンスペースとして暫定整備します。

 

 

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基町地区

 

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基町地区が目指す将来像(基町地区活性化計画より転載)

 

 

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「基町地区活性化計画 広島市 令和2年5月」より転載

 

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(表紙)「基町地区活性化計画 令和2年5月」

 

 

どうやら、県営住宅跡地に「水と緑の空間の確保」としての整備を始めているようだ。

中央公園の自由・芝生広場を壊し、この空地に水と緑の空間を新しくつくるということだろうか。広島市が開いた、市営基町アパートの入居者や市営店舗の入店者への説明会やアンケートからも、「基町の活性化とサッカースタジアムを一緒に話すので、アメとムチのように感じる。」「サッカースタジアム建設との関連についての意見(サッカースタジアム建設受入れとの交換条件で出てきた妥協案だと認識している人は多くいる。サッカースタジアム建設をきっかけにまちの活性化を進めていただきたい。」との声がある。

 

広島市は、住民基町活性化計画と、中央公園サッカースタジアム建設は、「別の問題として取組むべき問題である。」と回答している。「基町地区活性化計画」は、基町地区が抱える課題やその対応などについて、地区住民の代表者と意見交換や協議を重ねて取りまとめたものであるとのことだ。が、やはりサッカースタジアム建設を機に基町地域の活性化を望む声が住民側にあることは確かである。

「基町地区活性化計画 資料編」より)

 

 

~多様な世代が共存する、住みやすく、にぎわいのあるまち~を目指す将来像として出来上がった計画と、中央公園サッカースタジアム建設は、リンクしていると私は感じざるを得ない。

 

 

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市営中層住宅の共有スペースには、入居者の育てる野菜畑や花壇と

ブランコや滑り台、ジャングルジムなどの遊具があった。

 

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白とピンクの花に白い小石のアートが素敵な花壇

 

 

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本川沿い 基町環境護岸

 

  純粋に、中央公園が好きだった。季節の移ろいを感じ、仲間と集い、こどもたちがのびのび遊び、通りすがりの基町の方や掃除をされている方と顔見知りになり、会話を楽しんだ。緑とまちの景観が伸びやかに広がり美しかった。なんにもないあの広い空間。あの大好きだった公園は、なくなってしまった。

 

 

 

 

 

 



中央公園 西側芝生広場の芝生除去

中央公園芝生広場の芝生が除去されるのも直であるということをきき、

9月11日夕方、再び中央公園へ行った。

西側の樹木が残るエリアで、若い男女がバトミントンをしていた。

ここからぐるりと白いフェンスの周りを左回りに一周して歩いた

 

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①基町県営住宅側にある堀川「むくむく橋」前

 

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本川側を背に自由・芝生広場方向を撮影 手形のブロックが剥がされている

 

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作業後の重機があった

 

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③大田洋子文学碑
(参考まで)
少女たちは 天に焼かれる 天に焼かれる と歌のやうに 叫びなから 歩いて行った
大田洋子「屍の街」より 
建立年代昭和53年7月
被爆直後から廃墟のヒロシマを描き続けた大田洋子を偲んで建立した。
― 「平成21年度版 広島県観光便覧」より ―
 

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④木の根や掘り起こされたブロックが積まれている

 

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⑤渝華園側の公園出入り口付近

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⑥自由・芝生広場のなだらかだった丘

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ファミリープール側を背にして基町住宅方面を撮影 工事車両が出入りしている跡がある

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(写真右)剥ぎ取り積まれた自由・芝生広場の芝生



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⑦この芝生は数日後にもっていくとのこと、警備員さんが教えてくれた

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埋蔵文化財発掘調査のお知らせ」看板 赤枠エリアが少し修正され拡がっている

 

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⑧一本クスノキの足下に「広島青年会議所 昭和55年7月」と刻まれた石がある

 

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広島城側を背に本川方面を撮影 ここに高さ約45mのサッカースタジアム建設予定

 

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⑩基町住宅側を背にグリーンアリーナ方面を撮影 フェンス設置中

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⑪基町住宅側を背にファミリープール方面を撮影 この歩行者用通路はしばらく通行可能

 

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上の写真右側の、フェンス設置予定の場所に植わっている桜の木に掲示があった


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⑫ファミリープール側を背に撮影 フェンスの設置完了後、この道は通れなくなるだろう

 

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基町住宅側にある公園の立看板


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広島市中央公園西側エリア2020.9.11 芝生除去

 

 

フェンスの周りを歩いていると、散歩中とみられるおじさんが向こうからから歩いてきた。一本クスノキのあたりで芝生広場を見つめていた私に話しかけてきた。

「あっというま(の工事)じゃね。みんな言いよるよ。」

「これは、剥がされた芝生だって言ってました。そのうち運び出すって。」

私は、オレンジ色のフェンスの角に積まれていた枯れた芝と土の混ざった茶色い集積物を指さして言った。おじさんはどうやら信じられないようだったので、私は何度か同じ説明を繰り返した。ようやく合点いったのか、その変わり果てた芝生の様子に驚いていた。私は、こどもたちとよく遊んでいた愛着のある芝生広場が、こんなやり方で、あっという間に工事が進められていることに対して、やりきれない気持ちであることを伝えた。おじさんは、「それはさみしいことだ。」と同情した。

 

それから少し話をした。戦後、基町護岸のバラックに住んでおり、自転車で学校に通っていた。あの頃はよく火事が起こっていたという。私は、(散歩中らしきおじさんが、地元の基町の方かなと思ったので、)「地元の基町の人たちは、(スタジアム建設について)ほんとはどう思っているんですかね?」ときいてみた。話を聞いていると、近くに住んではいるが、今は基町ではなかった。サンフレッチェファンだという。コロナで計画が止まるかと思ったが、この光景をみて、むしろあっという間に進んでおり驚いていた。スポーツの力で、まちが元気になれば、と言っていた。「基町は死んでいる。」と言った。若い頃、基町に住んでいたおじさんは、サッカースタジアム建設でカフェやジムなどのお店もできれば夜も明るくなる、基町地域にも若い人が入ってきて賑わいが生まれれば、と。今のエディオンスタジアムの場所は静かでいいけど、70代の私にはチケットもスマホじゃとりづらいし、歩いていくあの道がつらいんだ、とも言っていた。

 

 

私は、なるほど、と思った。おじさんの思いは確かにどれも共感できる。戦後を基町のまさにこの場所で生き抜いてきたおじさんにとっては、基町が賑わうことで戦後からの復興を思い描いているのかも知れない。カープがかつて市民にとってそうであったように、コロナ禍の今、サンフレが盛り上がることで広島に元気をもたらしてくれると思っている。願っている。エディオンスタジアムのアクセスの不便さを解消して、足腰弱くなっても誰でも試合を見に行けるようになれば、と思っている。

 

なぜ、私は違和感を感じているのか

当事者抜きにしていろんなことが決まっていき進んでいる

公園は誰のもの?

一市民の声はなかったことのように

声なき声は届かない

こどもや自然が、未来のまちのまん中にいちゃだめなのかな

広島の人が想う

現在から繋がっていく

未来のまちの姿を知りたい

 

 

 

中央公園自由・芝生広場へ3mフェンスが設置

中央公園自由・芝生広場へ立入り禁止エリアとして高さ約3mのフェンスが設置され始めました。「サッカースタジアム建設に伴う埋蔵文化発掘調査」実施期間は、2020年(R2年)7月1日から2022年(R4年)3月31日までの予定、とお知らせ看板に掲示されています。

 

2020.9.8撮影

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基町住宅前道路側から撮影。フェンスが設置され始めました

 

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高さ約3mのフェンス内は、約2年半立入り禁止

 

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フェンスのメッシュの部分から少しだけ中の様子が見える