中央公園西側エリア 発掘調査で掘込み
9月28日(月)の夕方、仕事の帰りに中央公園へ寄った。
発掘調査作業がどのように進んでいるのか。
自分の目で見ようと思った。
例のごとく、西側エリアの基町住宅側、堀川の「むくむくばし」から歩き始める。
この石碑に刻まれている詩は、作家大田洋子さんの「屍の街」の一節である。
サッカースタジアム建設に伴い、広島市は、この石碑を含め西側エリアにある4基のモニュメントを移設し、広場内に再設置するようである。
「「屍の街」は、大田洋子の原爆被爆後の第1作。市内白島で被爆し、川のほとりで何日か野宿した後、玖島村(佐伯町・現廿日市市)へ逃げのびるまでの“惨状と恐怖”の記録である。「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの」と作中で語っているように、障子紙やちり紙まで使って懸命に書き続けたが、初版<昭和23年(1948)>は検閲を顧慮して自発的に部分削除、2年後の再版でやっと復元完本とした。」(「ひろしま文化大百科」より引用)
今日歩いたコースと撮影した写真は、下の通り。
左上の黄色い枠の写真①からスタートし、発掘調査エリアに設置してある白いフェンス沿いに歩き、一時間くらいかけて一周した。
作業の過程を見ておこうと思い、何度か歩いているが、歩く前にかなりの気合いを入れることにしている。見たくない思いと、見ておきたい思いがいつも交錯している。そして、歩けば歩くほど気が重くなる。
そんな中、こどもたちが遊んでいる姿を見つけた。
小学生くらいの男の子が3~4人でサッカーをしていたところ、後からチョロチョロと加わってきて、7~8人が集まって遊んでいた。
県営住宅跡地にいつの間にかできていたこの場所は、「基町地区活性化計画 広島市令 和2年5月」によると、オープンスペースとして暫定整備されたもののようだ。
(以下、引用)
【取組み】水と緑の空間の整備
将来的に、旧太田川に面する県営基町住宅跡地から中央公園に連なる水と緑を生
かした広大な空間を確保し、潤いのある魅力的なまちづくりに有効的に活用するこ
とを検討します。
➣ 【取組】 県営基町住宅跡地のオープンスペース化 (行政)
国有地である「県営基町住宅跡地」について、国から管理委託を受けて、そ
の一部を地区住民や市民が地域コミュニティ活動等に利用できるようオープ
ンスペースとして暫定整備します。
どうやら、県営住宅跡地に「水と緑の空間の確保」としての整備を始めているようだ。
中央公園の自由・芝生広場を壊し、この空地に水と緑の空間を新しくつくるということだろうか。広島市が開いた、市営基町アパートの入居者や市営店舗の入店者への説明会やアンケートからも、「基町の活性化とサッカースタジアムを一緒に話すので、アメとムチのように感じる。」「サッカースタジアム建設との関連についての意見(サッカースタジアム建設受入れとの交換条件で出てきた妥協案だと認識している人は多くいる。サッカースタジアム建設をきっかけにまちの活性化を進めていただきたい。」との声がある。
広島市は、住民基町活性化計画と、中央公園サッカースタジアム建設は、「別の問題として取組むべき問題である。」と回答している。「基町地区活性化計画」は、基町地区が抱える課題やその対応などについて、地区住民の代表者と意見交換や協議を重ねて取りまとめたものであるとのことだ。が、やはりサッカースタジアム建設を機に基町地域の活性化を望む声が住民側にあることは確かである。
(「基町地区活性化計画 資料編」より)
~多様な世代が共存する、住みやすく、にぎわいのあるまち~を目指す将来像として出来上がった計画と、中央公園サッカースタジアム建設は、リンクしていると私は感じざるを得ない。
純粋に、中央公園が好きだった。季節の移ろいを感じ、仲間と集い、こどもたちがのびのび遊び、通りすがりの基町の方や掃除をされている方と顔見知りになり、会話を楽しんだ。緑とまちの景観が伸びやかに広がり美しかった。なんにもないあの広い空間。あの大好きだった公園は、なくなってしまった。